世界樹のつめたい手

 取り引きだ、と、彼は言った。

 断るなどとは考えても居ないように。



 ここがどこなのか、考えたのはわずかな時間だった。

 おそらく惑星オールドラント――そのどこでもない場所なのだろう。
 闘技場に現れたあの『影』たちのように、異世界に召喚されたということか。


 現状を把握するわずかな間にも、声の主の視線は揺らがない。
 傲然とこちらを見据えるまなざしを、ジェイドはよく知っている。

 まとう温度に差はあっても、それはかつて鏡の向こうに見た自分の瞳に似ていた。


 ――わたしはお前の理論がほしい。代わりにお前にキセキをやろう。

 キセキ、というたったの三文字が、
 それが指すものがいま自分が欲してやまないものなのだ。
 同時にそれは、禁忌でもある――と、本能に近い領域で悟っていた。


 けれど、
 なにを、
 ためらうことがあるのだろう。

 あの子どもは消えてしまう。近い未来に、確実に。


 ジェイドは静かに目を伏せた。
 再び現れた瞳は、その色に相応しい熱を宿している。

 歩み、近付き、かしずいて彼の手をとった。
 恭順の意を示すそれに、実感は伴わない。


 手袋ごしに触れているのに、彼の手は死人のように冷たい。

 そう、思った。



 ……その時

 ――ェイド……ジェイド!

 声が、聞こえた。名を呼ばれた。遠くから。
 それをきっかけに動き出した召還の力を感じて、ジェイドは瞼を下ろした。


 消えない熱を、冷ますように。

 あるべき場所で――目覚めるように。






「おい、ジェイド!」

 目を通したい資料があるのだ、と、男が宿屋の一室にこもってから数時間。
 買い出しから戻ってきたルークは、机に突っ伏して眠るマルクト帝国軍の大佐を見て目を丸くした。

 ……明日は雪かな。ひょっとして槍が降るかも。

 当人に聞かれたら「きつーいお仕置き」が降ってきそうなことを考えながら、眠る男の肩をゆすりあげた。
「ジェーイードー。こんなとこで寝てると風邪ひくぞ」
 同じような言葉をすこし前にこの男の口から聞いた気がするのだが、それは棚にあげておく。
 少しして、男は目をあけた。
「……ルーク?」
 まだどこかぼんやりとした視線が、ルークをとらえる。
 寝起きのジェイドは珍しい――というより今まで見たことがない。

「えっと……悪かったな。ひょっとしていい夢でも見てたのか?」
「そう、なのでしょうかね。魅力的な夢ではありました」
「どんな?」

 す、と彼は笑みを浮かべる。その姿はもう、いつものジェイドだ。

「悪魔に魂を売る夢です」
「……やっぱ、起こして正解だ」
 呆れた口調で言ったルークは、もう一言。

「そんなの売るなよ。もったいない」
 そう、言った。


「……勿体無い、ですか」
「当たり前だろ。絶対売るなよ、断れよ」


 夢の話だ。

 次もない。


 それでも真剣にそう告げてくる子どもに手をのばして、触れた。

「ええ、そうですね――貴方が言うなら、そうしましょう」



 通りを駆け抜けて戻ってきたらしい子どもの体温は、ひどく心地良かった。

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